二人で一日がかりで80キロやっと掘れる。でもじいちゃんは午前中だけで一人で100キロ。 昔の人の体の使い方は違う。
私がタナカレンコンさんのことを聞いたのが昨年の3月。マーケットのことを理解してくれている方が紹介してくれました。でもレンコンの植え付け作業に入る時期で、種レンコンを大事にしたいとのことでその時は参加が難しい状況でした。
12月のお正月準備のためのマーケットに参加してもらえたらどんなにいいだろう、と期待していました。ついに今年、念願かなって参加して下さいました。見通しが良くなるレンコン。最高です。
堀りたてほやほやです。
美味しい食べ方はレンコンに片栗粉を混ぜて揚げるから揚げや天ぷら。素揚げももちろん美味しいそうです。
でもまずは、「新鮮なうちに食べてほしい。泥が付いたまま、濡れた新聞紙に包むと日持ちはするのですが。うちは渋抜きというレンコンの呼吸を止めて表面を白くする加工はしていません。
味が変わってしまうから。だから表面は赤かったり黒かったりしますが味を備中レンコンの味を大事にしたい。」
頂いたレンコンを食べて本当にびっくりしました。
甘い!柔らかくて皮ごと食べられる!とても感動しました。こんな甘いレンコンを食べたことがなかったです。天ぷらにしたのですが、サツマイモのテンプラと変わらなくらいの甘さ。
これは間違いなく、大分の宝だ!と相当テンションがあがってしまいました。
立ち枯れているレンコン畑。
とにかく寒い日でした。
すごく寒い日にレンコン畑にお邪魔しました。ご兄弟でレンコンを収穫する様子を見せて頂きました。穏やかに説明して下さるお二人。すぐに準備を整えて畑に入られましたが、これは私がはいったら抜け出せないわ・・・と思いました。
手作業で一本一本掘っていく作業です。寒いし、動きにくいし、どれだけ体力消耗するんかなというくらいすごかったです。
レンコン掘りの七つ道具です。
「収穫はだいたい12月から出来ます。イノシシも掘りに来ることがあります。
収穫期になると水を落とします。風が強くて寒い場所。体力が続く限りで収穫。レンコンは井路で洗ってキレイにしてから袋詰めします。スーパーでは袋詰めが必須です。」
「備中レンコンは味の備中と言われるほど美味しい。作っている人が少ないのでブランドです。
普通、スーパーなどで売られているレンコンはダルマというものが主流です。直径が大きいものです。でも備中レンコンは細長いのが特徴。直径は4~5センチ。長さは1.5~2メートルもあります。」
でも、味を知らないお客さんからは時々貧相な・・・と言われることがあるそうです。
以前はスーパーにも出していたそうですが、どんなレンコンなのか伝えられないとあまり意味がないかな、ということで知っている方に販売したり、マーケットに出したりしたそうです。
確かに長い!
山のすぐ下のレンコン畑。
キレイで美味しい山水で育ちます。
3年前に杵築で理想的な場所を紹介してもらい、今は田圃でいうと3反半の広さで栽培しています。綺麗な山水が流れ込む理想的な場所。
今後は設備投資もしていきたい。
今は手作業で掘っています。でも水圧のジェットのもので泥を飛ばして収穫するような機械もあるし、底をプールにするやり方もあるみたい。(ただしレンコンが半月状態になることもあるとか)
効率化は図りたい、でも根本的には味と作り方は守って行きたい。
さあ、今からレンコン堀り。
泥が入らないように、
地下足袋のような長靴とパンツの隙間にガムテープを
ぐるぐる巻きます。
レンコンの栽培はそんなに難しいものではないです。
3月にタネレンコンを植えます。
種レンコンですが、レンコンの節の間にある芽を欠く植え付けが出来ないのでその作業は緊張するそうです。
セリもキレイな水で育っています。
この下の粘土質の泥の中に
宝が・・・。
筋掘りの深さは1.5メートルほど。筋と筋の間は2メートルの間隔をあけて。
草取りはやらないといけないのですが、草よりも高くなるものだけを摘めば葉にさえぎられて草は成長できない。
そんなにハードではないそうです。また、肥料は5月~6月の梅雨前に鶏糞を施肥。
困るのは茎が伸びかけたころのイノシシが泥遊びして茎を倒すこと。そうなると成長が止まってレンコン太らないそうです。
草取りもしますが、蓮の茎よりも高くなるものだけ。そして夏を迎えると一気に茎が高く成長します。そうなると葉が茂って日光が水面に届かないため、たいていの草は枯れてしまうそうです。
黒々とした土。
栄養分があるそうです。
お二人とも栽培していていいなあ、と思うことの一つに夏のレンコン畑のことをあげていました。
「花蓮ではないので、花の数は少なく茎が1~2メートル近く成長します。そうなると葉が茂って空が覆われて畑に入ると別世界のような気持ちになります。水が透明で綺麗だし本当に神秘的で美しいです。夏はいいですよ。」
思わず、大昔の宮沢りえのポカリスエットのCMを思いだしてしまった。想像力貧困。
そんなドラマチックな世界が広がっていたとは。
「蓮」「蓮根」日本人になじみが深いこの植物には何か宗教的な要素を感じやすいのはそういう時期があったためかも、と妙に納得してしまいました。
七つ道具の一つのヘラ。
ガンツメ。
備中クワを改良したもの。
でも見ている限り、やっぱり「手」で
掘っている様子でした。
痛いと思う・・・。
栽培で一番大変なのは、なんといっても収穫だそうです。沢山の秘密兵器を見せてもらいました。
水を抜いて、粘土質の固い土に約70センチの深さまで掘るのは大変です。
備中クワというよく見かけるクワを改良したがん爪という道具。クワの爪の間が広く、爪の一本一本が細く、レンコンを傷つけないようになっています。そのほかにもスコップやヘラなどの作業道具を使いながら1~2メートル近く成長したレンコンを堀りあげて行きます。
12月ごろが本格的なシーズンの始まりですが、始まったばかりの時は指が痛くて掘るのが遅いそうです。やっと1月からなれるとか。
旬は冬で12月~3月くらいまで収穫できます。
「じいちゃんは他に畑もしてたけど主な収入源はレンコンだけで約4か月で1年分の収入を賄っていた。
結構稼いでいたらしいです。」
祖父はレンコン名人。
四国にいる時に備中レンコンの栽培の仕方を岡山に習いに行き、そして大分の松岡をレンコンの産地にしたそうです。
レンコン栽培50年。3年前に亡くなったけど残りの15年間は無化学農薬・無化学肥料での栽培だったそう。
何か安心なものを、ということで思う事あって・・・?と質問すると
「農薬というより化学肥料を使っていたけど。理由としてはただ単に農作業的にめんどくさかっただけだと思う。」
「・・・。」
二人で作業。
屈んでいるほうが弟の良さん。
手前がお兄さんの聡さん。
5年前に弟の良さんがおじい様に栽培の仕方を教えてもらったそうです。
自分の仕事を受け継いでくれてきっと喜んだでしょうね、と微笑ましい祖父と孫の光景を想像したのですが
「いや、微笑ましいというレベルではなく、スパルタです。」
良さんが農作業をしているのを家の中から見ていて、何のまえぶれもなく
「そんなんでつまるか!!」「ばかもん!!」と大声で怒鳴られることが多かったそうです。
とにかく掘ってます。
畝がどこだったか全然私には分かりませんでした。
ガンツメも使用。
頭を突っ込むくらいの勢いです。
「午前中だけ仕事。昼寝をして午後から配達。87歳まで現役だった。
今僕たちは二人で一日かかって80キロ収穫。でもじいちゃんは午前中だけで一人で100キロ。
昔の人の体の使い方とかつくりは、何か根本的に違う気がする。そして休憩の仕方も。
正直言って、歳とって続けられるかどうか全然自信がないです。」
折らずに掘り起こせるか、も難しいです。
自然薯掘ってるのかとちょっと錯覚する。
87歳で亡くなる直前まで現役。大好きなお酒も労働のあとに飲んで楽しみ、岡山からの種である備中レンコンを大分で根付かせて、品質のすごいものを作り上げた。
自分がこの世を去った後も子孫が技術やそのレンコンの価値を理解して栽培を受け継いている。そして食べた人に「美味しい!」と驚きと感動を与えている。与え続けている、というじいちゃんの偉業。
農業はものを作り出す産業ではない、とは思っていました。土から食べ物をという命を産み育む仕事であると特に生産者の方に出会って思うようになりました。年数や経験を積み重ねていくしかない、農業の技術は一つの資産です。
ご近所のかたとも素敵な感じでコミュニケーション。
田中さんちのご兄弟は話しがとてもわかりやすい。
そして話し方がとても優しい。
タナカさんの「じいちゃん」にあったら絶対に「そんなんでつまるか、馬鹿もんが!!」と絶対に怒られそうな私ですが会ってみたかったなあ。
じいちゃんこと藤内進さん。
お孫さんへの愛あるスパルタのおかげで美味しいレンコンを食べて幸せな気持ちになりました。
農業の技術や思いを遺すこと、それが数えきれないほどの人の幸せに繋がること。それにも気付かせて下さいました。
今は会えないけどいつかお礼が言いたい。
伝説のレンコン名人のレンコンが伝説だけにならないように努力して受け継いでいくタナカ兄弟にももちろん感謝です。
それほど美味しいレンコンです。